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みなさんは「薩長土肥(さっちょうどひ)」という言葉を聞いたことがありますか?
これは、明治維新で活躍した4つの藩をまとめた呼び方です。
・薩摩藩(現在の鹿児島県)
・長州藩(現在の山口県)
・土佐藩(現在の高知県)
・肥前(現在の佐賀県周辺)
この最後の「肥」が、佐賀藩です。
薩摩藩や長州藩は教科書でもよく登場します。しかし佐賀藩については、「名前は聞いたことがあるけれど、何をしたのかよく分からない」という人も多いのではないでしょうか。
実は佐賀藩は、「科学技術」の力で明治維新を支えた、とても重要な藩でした。そしてその中心人物が、藩主の鍋島直正です。
今回は、「科学力」と「鍋島直正」をキーワードに、佐賀藩の役割をわかりやすく紹介します。
19世紀になると、ヨーロッパやアメリカでは科学技術が大きく発展していました。
たとえば、
・蒸気機関
・鉄製の大砲
・大型の軍艦
・工場での機械生産
などが次々に生み出されていました。
一方、日本は江戸幕府による「鎖国」を続けていました。そのため、西洋の進んだ技術を十分に知ることができませんでした。
しかし1853年、マシュー・ペリーが黒船を率いて来航します。
蒸気で動く巨大な軍艦を見た日本人は、大きな衝撃を受けました。
「このままでは外国に負けてしまう」
そう考えた藩の一つが、佐賀藩だったのです。
佐賀藩を近代化へ導いたのが、藩主の鍋島直正です。
鍋島直正は、外国に対抗するためには、西洋の科学や技術を学ぶ必要があると考えました。
当時の日本には、
・古い伝統を守る
・身分制度を重視する
・外国を警戒する
という考えが強くありました。
しかし鍋島直正は、そうした考えにとらわれませんでした。
彼は、
・有能な人材を積極的に登用する
・西洋の学問を研究する
・新しい技術を取り入れる
といった改革を進めていきます。
この姿勢が、佐賀藩を「科学技術に強い藩」へと変えていきました。
佐賀藩が特に力を入れたのが、「反射炉」の建設です。
反射炉とは、鉄を高温で溶かし、大砲を作るための巨大な炉のことです。
当時、日本では西洋式の強力な鉄製大砲を作ることは非常に難しい技術でした。
しかし佐賀藩は、西洋の技術書を研究しながら反射炉の建設に成功します。
そして、高性能な大砲を製造できるようになりました。
これは当時の日本でも最先端レベルの技術でした。
つまり佐賀藩は、単なる地方の藩ではなく、日本有数の「科学研究拠点」だったのです。
佐賀藩は、大砲だけでなく蒸気船の研究にも力を入れました。
蒸気船とは、蒸気機関を使って動く船です。黒船もこの技術で動いていました。
蒸気船を研究するには、
・機械工学
・エネルギーの知識
・金属加工技術
など、多くの科学知識が必要です。
佐賀藩はこれらを積極的に学び、日本の近代海軍につながる技術を発展させました。
さらに、
・医学
・化学
・物理学
・天文学
など、西洋の学問も幅広く研究していました。
このように、佐賀藩は「武力だけ」ではなく、「科学そのもの」を重視していたのです。
当時、日本が西洋の知識を学ぶ窓口となっていたのがオランダでした。
そのため、西洋の学問を「蘭学(らんがく)」と呼びます。
佐賀藩は、この蘭学をとても重視しました。
外国をただ恐れるのではなく、
「優れた技術は積極的に学ぼう」
という考えを持っていたのです。
この姿勢が、後の日本の近代化につながっていきます。
佐賀藩からは、明治政府で活躍する多くの人材が生まれました。
代表的な人物には、
・大隈重信
・江藤新平
・副島種臣
などがいます。
彼らは、
・政治
・法律
・外交
・教育
などの分野で活躍し、日本の近代国家づくりに大きく貢献しました。
つまり佐賀藩は、科学技術だけでなく、「未来を作る人材」も育てていたのです。
明治維新というと、
・西郷隆盛
・木戸孝允
・坂本龍馬
などが有名です。
そのため、薩摩藩や長州藩の印象が強くなります。
一方、佐賀藩は「前線で目立つ」というよりも、
・技術開発
・武器製造
・人材育成
など、裏側から支える役割が大きかったのです。
たとえるなら、戦う選手というより、「チームを支える技術スタッフ」のような存在だったと言えるでしょう。
鍋島直正の最大のすごさは、「未来を見る力」があったことです。
多くの人がまだ古い考えにこだわっていた時代に、
「これからは科学と技術が国を強くする」
と考えていました。
そして実際に、
・研究を進める
・人材を育てる
・新技術を導入する
という行動を起こしました。
ただ考えるだけではなく、実際に改革を行ったことが、鍋島直正の大きな功績です。
「薩長土肥」の「肥」である佐賀藩は、
・西洋科学を積極的に学び
・大砲や蒸気船を研究し
・日本トップクラスの技術力を持ち
・明治維新を支える人材を育てた
重要な藩でした。
その中心にいたのが、藩主の鍋島直正です。
彼は、「これからの時代には科学が必要だ」と考え、日本の近代化を進めました。
つまり佐賀藩は、「戦う力」だけではなく、「科学の力」で日本を変えた藩だったのです。
福岡東エリア、舞松原教室教室長。 入社6年目。教務能力向上のため2024年に数検準1級を取得。ただいま、1級合格に向けて勉強中!!「元気に分かりやすく」がモットーです。