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2026.05.7

人を救うとは何か——善意を“仕組み”に変えた3人の物語

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「人を救う」とは何か「人を救いたい」と思うことは、多くの人が一度は経験しているのではないでしょうか。しかし実際には、その思いを持ち続けたり、行動を広げたりすることは簡単ではありません。目の前の人を助けることはできても、それを継続し、多くの人に届けることは難しいからです。では、本当に人を救うとはどういうことなのでしょうか。歴史を振り返ると、その答えは単なる優しさではなく、「仕組み」を作ることにあるとわかります。本稿では、フローレンス・ナイチンゲール、アンリ・デュナン、後藤新平の三人を通して、「人を救う」という行為の進化を見ていきます。

 

①現場を変えた革命者──ナイチンゲール

フローレンス・ナイチンゲールは、近代看護の基礎を築いた人物として知られています。その生涯は、「献身」だけでなく「仕組みで人を救う」という発想に貫かれていました。

1820年、イタリアのフィレンツェで裕福なイギリス人家庭に生まれたナイチンゲールは、幼い頃から高い教育を受けて育ちます。当時の上流階級の女性にとって、看護はふさわしくない職業とされていましたが、彼女は「人の役に立ちたい」という強い使命感から看護の道を志しました。

転機となったのは、1854年のクリミア戦争です。彼女は看護団を率いて戦地の病院へ赴きますが、そこは劣悪な衛生環境で、多くの兵士が感染症によって命を落としていました。ナイチンゲールは、看護だけでなく、換気・清掃・食事管理といった環境改善に取り組みます。その結果、死亡率を大幅に低下させることに成功しました。

 

さらに彼女の革新的な点は、その成果を「データ」で示したことにあります。統計を用いて衛生環境と死亡率の関係を明らかにし、医療改革の必要性を社会に訴えました。これは医療の世界に科学的根拠を持ち込む重要な一歩となりました。

帰国後も彼女は活動を続け、看護教育の確立に尽力します。1860年にはロンドンに看護学校を設立し、専門職としての看護師の育成に大きく貢献しました。また、著書『看護覚え書』は、現在でも看護の基本として読み継がれています。

晩年は病気のため表舞台から退きながらも、書簡や提言を通じて医療や衛生政策に影響を与え続けました。1910年、90歳でその生涯を閉じます。

 

ナイチンゲールの功績は、単なる「優しい看護師」にとどまりません。現場の課題を見抜き、それを改善する仕組みを築き、さらに社会全体に広げていった点にこそ本質があります。彼女の生涯は、「人を救う」とは何かを考えるうえで、今なお大きな示唆を与えてくれます。

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② 世界を動かした理想──デュナン

アンリ・デュナンは、国際赤十字の創設者として知られ、人道主義の理念を世界に広めた人物です。その生涯は、一つの体験から「世界の仕組み」を変えていった過程そのものでした。

1828年、スイスのジュネーブに生まれたデュナンは、信仰心の厚い家庭で育ち、幼い頃から貧しい人々への奉仕活動に関わっていました。青年期には実業家として北アフリカで事業を展開しますが、その最中に人生を大きく変える出来事に遭遇します。

1859年、イタリアで起きたソルフェリーノの戦いです。戦場には数万人の死傷者が放置され、十分な医療も受けられないまま苦しんでいました。この惨状を目の当たりにしたデュナンは、現地の人々とともに敵味方の区別なく負傷兵の救護にあたります。その中で彼は、「すべての負傷者は平等に助けられるべきだ」という強い信念を抱くようになりました。

帰国後、この体験を『ソルフェリーノの思い出』として出版し、戦時における救護体制の必要性を訴えます。この提案がきっかけとなり、1863年に国際赤十字委員会が設立され、さらにジュネーブ条約の締結へとつながっていきました。デュナンは、個人の善意を国際的なルールへと昇華させたのです。

 

しかしその後、事業の失敗により破産し、社会的地位を失います。長い間、困窮した生活を送り、歴史の表舞台からも姿を消していました。

転機が訪れたのは晩年です。彼の功績が再評価され、1901年には第1回ノーベル平和賞を受賞します。これは、人道活動が世界的に認められた象徴的な出来事でもありました。

 

1910年、デュナンは静かに生涯を閉じます。
彼の歩みは、一人の体験と信念が、国境を越えた仕組みへと発展し得ることを示しています。「人を救う」という行為を、個人の善意から世界共通の原則へと押し上げた点にこそ、その真価があります。

 

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③ 社会をデザインした男──後藤新平

後藤新平は、医師から政治家へと転じ、「社会の仕組みそのもので人を救う」ことを実践した人物です。その生涯は、現場の知識を国家規模の政策へと広げていった歩みでした。

1857年、現在の岩手県に生まれた後藤新平は、若くして医学を学び、内務省の衛生官僚としてキャリアをスタートさせます。医師として現場を知る彼は、病気の治療だけでなく、「そもそも病気にならない環境をつくること」の重要性に気づいていきました。

その考えが大きく発揮されたのが、日清戦争後の台湾統治です。民政長官として赴任した後藤は、衛生環境の整備、上下水道の導入、医療制度の確立などに取り組みました。さらに、土地調査や産業振興も進め、社会全体の基盤を整えることで、感染症の減少と生活水準の向上を実現します。これは単なる統治ではなく、「社会を整えることで人を救う」という実践でした。

その後、日本に戻った後藤は、逓信大臣や鉄道院総裁などを歴任し、インフラ整備にも力を注ぎます。交通や通信といった基盤を整えることで、人々の生活そのものを支える役割を果たしました。

 

そして彼の名をさらに高めたのが、1923年の関東大震災後の復興計画です。後藤は単なる復旧ではなく、将来を見据えた都市計画を提案しました。道路の拡幅、公園の整備、防災を意識した街づくりなど、「災害に強い都市」を目指した構想は、現代の都市設計にも通じる先進的なものでした。

後藤新平の特徴は、個人の救済にとどまらず、社会全体の仕組みを変えることで多くの人を救おうとした点にあります。医療、行政、都市計画と分野を超えて活動したその姿は、「人を救うとは何か」を考えるうえで大きな示唆を与えてくれます。

 

ナイチンゲール、デュナン、後藤新平の三人に共通しているのは、「優しさ」で終わらせなかった点です。それぞれが、行動を持続可能な形にし、多くの人に広げる仕組みを作りました。現場の改善、国際ルール、社会設計と、そのスケールは異なりますが、本質は同じです。では、私たちに何ができるのでしょうか。それは決して特別なことではありません。目の前の問題に対して、「どうすれば続くか」「どうすれば広がるか」を考えることです。そうした小さな工夫の積み重ねこそが、人を救う力につながっていくのではないでしょうか。

 
ミツカル教育通信で取り上げていただきました!
インタビュー記事は、以下のURLから確認いただけます。
https://resemom.jp/kyoiku/interview/5-days-interview/
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この記事を書いた人

野芥教室教室長_波多江泰宏

こんにちは!5-Days 野芥教室の教室長、波多江です。このページをご覧いただき、ありがとうございます! これまで多くの生徒さんと関わる中で感じているのは、「勉強がちょっと苦手かも…」という子ほど、ふとした瞬間にぐんと伸びる力を持っているということです。だからこそ、まずは「できた!」という小さな成功体験を積み重ねること、そしてそれを毎日しっかり承認することがとても大切だと考えています。当教室では、ただ知識を教えるだけでなく、「自分で勉強する力」を育てることを大切にしています。学校のテスト対策はもちろん、将来にもつながる“本物の学力”を、私たちと一緒に身につけていきましょう!皆さんにとって安心して通える教室、そして前向きな気持ちになれる場所を目指して、スタッフ一同、日々取り組んでいます。 まずは体験授業や教室見学だけでも大歓迎です!お会いできるのを楽しみにしています!

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