目次
はじめに
日本の歴史のなかで、「最後の将軍」として知られる徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代将軍です。
彼は、明治時代のはじまりに大きな決断をし、自ら政治の舞台から退きました。しかしその後、意外な趣味に打ち込んでいました。
さて、徳川慶喜の趣味は次の内どれでしょうか?
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徳川慶喜は、政治家としての人生を終えたあと、「日本で最初期のアマチュア写真家」として、カメラと真剣に向き合い、多くの写真を残しました。
徳川慶喜は、1837年に生まれました。父は水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)で、名門・徳川家の中でも特に格式の高い「御三家(ごさんけ)」の出身です。
1866年、慶喜は第15代将軍となり、幕府を支配する立場になりました。しかしそのとき、日本は大きな変化の時期にありました。西洋の国々が開国を求め、日本は外国との関係を深め始めていたのです。
国内では、新しい国づくりを求める勢力(倒幕派)が強くなり、幕府の力は次第に弱まっていました。
そんな中、慶喜は1867年に「大政奉還(たいせいほうかん)」を行い、自ら政権を朝廷に返上しました。つまり、自分から「将軍をやめて、国の政治を天皇に任せます」と言ったのです。
これによって、江戸幕府は約260年の歴史に幕を下ろしました。
将軍をやめたあと、慶喜は静岡に移り住み、政治の表舞台から完全に退きました。
彼は、新政府に対して反乱を起こすこともせず、恭順(=言うことを素直に聞くこと)の姿勢を見せます。
そのため、明治政府からも「穏やかに暮らすこと」を許されました。
この後、慶喜は第二の人生をスタートさせます。
もう「政治家」ではなく、一人の「趣味人」として生きていくことを決めたのです。
明治時代の初期、日本にはまだカメラがあまり普及していませんでした。
当時のカメラは西洋から伝わったもので、非常に高価で、大きくて重たく、しかも扱いがとても難しいものでした。
しかし、慶喜はもともと新しいものや外国の技術に強い関心を持っていた人です。
西洋の服を着てみたり、最新の道具に興味を持ったりするなど、当時としてはかなり「進んだ考え方」をしていました。
そんな彼が写真という技術に出会ったのは、自然な流れだったのかもしれません。
やがて彼は、自分でカメラを手に入れ、写真の撮影方法や現像の仕方などを独学で学び、本格的に写真を趣味として始めます。
今のスマートフォンのカメラとは違い、当時のカメラは次のようなものでした:
・木製の大きな箱のような形
・シャッターがなく、ふたを手で開けて光を取り込む
・三脚に固定して動かさないようにする
・写真を「ガラス板」や「特別な薬品を塗った紙」に焼きつける
・撮影に何秒もかかる(動くとブレる)
このように、かなりの手間と知識が必要でした。
しかし、慶喜はそれを楽しみ、写真の世界にのめりこんでいきます。
徳川慶喜が撮った写真の多くは、身の回りのものや人々、風景などです。
・自分の家族
・庭の植物や風景
・使用人やお客さん
・ときには自分自身
彼は、ただ記録として撮るのではなく、構図や光の入り方にも気をつかいながら、芸術的な写真を撮っていました。
また、自宅には「暗室(あんしつ)」を作り、写真の現像(げんぞう)作業まで自分で行っていたといわれています。
「アマチュア」とは、お金をもらわずに趣味として取り組む人のことです。
慶喜は、まさにその意味でのアマチュア写真家でした。お金のためではなく、純粋に写真を楽しみ、芸術として愛していたのです。
彼は自分で撮るだけでなく、写真の技術についても研究を重ね、同じように写真を趣味とする人たちと交流をしていました。
そのため、彼は「日本で最初期のアマチュア写真家のひとり」と言われています。
慶喜はその後、東京・巣鴨や駒込の自宅で静かな余生を送りました。
政治の世界には戻らず、写真・絵画・自転車・狩猟など、趣味を楽しみながら暮らしました。
彼が撮った写真や、彼自身が写っている写真の一部は、現在も美術館や歴史資料館などに残されています。
その写真を見ると、明治時代の暮らしや当時の人々の表情などがリアルに伝わってきます。
徳川慶喜が写真を趣味にしたことには、いくつかの大きな意味があります。
慶喜はカメラを使いこなし、写真を芸術の一つとして楽しみました。
これは、日本における写真の「芸術」としての始まりの一つとも言えます。
戦乱の時代に育ち、激しい政治の世界を経験した慶喜が、晩年に写真のような「平和的な表現」に心を向けたことは、とても象徴的(しょうちょうてき)です。
カメラは西洋から入ってきた近代的な道具です。
そのカメラを日本で最初に使いこなしたのが、かつての将軍だったというのは、日本が江戸時代から明治時代へと近代化していく中で、とても象徴的なエピソードです。
徳川慶喜は、ただの「最後の将軍」ではありませんでした。
彼はその後の人生で、写真という新しい文化に出会い、それを深く楽しみ、芸術のひとつとして大切にしました。
カメラという道具を通じて、自分の暮らしや家族、自然の美しさを記録したその姿は、戦争や争いではなく、「静かでおだやかな生き方」を選んだ人として、今でも尊敬されています。
福岡東エリア、舞松原教室教室長。 入社5年目。教務能力向上のため2024年に数検準1級を取得。ただいま、1級合格に向けて勉強中!!「元気に分かりやすく」がモットーです。